Interview

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内田良教授

名古屋大学大学院 教育発達科学研究科

内田良 教授

名古屋大学大学院 教育発達科学研究科の内田良教授は、頭髪規制は学校と生徒の関係性を捉える上で最も根深い問題であると語ります。理想的な部活の在り方やルールの見直し方、そして私たちが改めて問い直すべき意識とはどのようなものなのでしょうか。校則や部活動の問題の研究を行い、多数メディアを通じて発信されている内田教授に見識を伺いました。

学生のおしゃれや自己表現は、学校では「わがまま」と言い換えられる

―内田教授が研究されている校則の問題について、着目したきっかけは何だったのでしょうか?

「私は、子どもの事故や家庭での虐待を起点にリスク研究をはじめて、学校関連では主に部活での事故について調べていました。そこからの延長で、部活は教員の長時間労働などさまざまな問題を内包しているということが分かり、幅広く調べています。校則の問題に着目したきっかけは、2017年に発生した、女子生徒が高校を提訴した頭髪指導の裁判です。

最高裁まで行って棄却されましたが、今日の校則をめぐる議論のきっかけになった重要な事案となりました。校則で子どもを縛っている学校は未だに多いですが、研究を進める中で、必ずしも教員側もそれを望んでいる訳ではないということ、学校という組織は一枚岩のように見えても、分解していくと校則に違和感をもっている教員も少なくないことが分かってきました。
でも表向きには『校則は厳しくあったほうがいい』という風になっている。大人数で行動をする上で自ずと生まれてきた“ルールで縛る”ということが、『子どもたちを統率し、まとめ上げている』という風に評価されてきたので、なかなかそこに切り込めないのが実情だったと思います。しかし、そもそもその統率されている状態を上手くいっていると表現するかどうか……そこが集団行動を重視してきた学校の特性でもあり限界でもあります。ただ、学校には保守的な人だけでなく、革新的な人もちゃんといるので、そんな人たちが声を上げやすくするのが、私たち研究者やメディアの役目だと考えています。世論が盛り上がれば、学校内でも議論しやすくなりますから。」

―校則に関しては徐々に議論が進みつつあるという印象ですが、部活に関してはルールが明文化されていないこともあり、変化の動きに乏しいように思います。内田教授は部活のブラックルールについて、どのような課題があるとお考えでしょうか?

「本来、ルールというのは明文化されているべきであって、それ以外のものは強制すべきではないんです。部活動でのルールは特に明文化されていないものが多いですよね。丸刈り頭が代々受け継がれていることで、生徒もそれを続けないといけないと思い込んでいるところもありますし。だからこそ、マンダムさんが部活ヘアの問題に着目したのはすごくいいなと思ったんです。ルールが明文化されていないので、生徒が空気を読んで従う。そうすると、教員側は『これは生徒が自主的にやっているんです』と言えてしまう。生徒の髪を教員が刈れば問題ですが、例えば『そんな髪型でやる気あるのか!』と、怒鳴ったことによって生徒が丸刈り頭にしてきたら、生徒による選択だと裁判では判断されてしまいます。だからこそ教員側は、生徒が自主的にやっているように見えていたとしても、同調圧力で従っているだけかもしれないという視点をもたないといけません。生徒はレギュラーで試合に出たいし、部活の実績で進学したいこともあります。そういった場合、顧問の先生は生徒の人生を握っているようなもので、影響力は絶大です。明文化されることなく顧問個人の価値観がルールとして強制されていく。生徒は逆らいにくいということに、権力者はもっと敏感でなくてはいけないんです。」

―学校や部活の中でも、『髪型』については特に厳しいルールが設けられている印象があります。それは何故でしょうか?

「確かに、学校は髪型への規制を最後まで手放さないですね。というのは、恐らく髪型というのは可変的で、印象を左右するものだからではないでしょうか。『生徒が髪をカラフルに染めるのは非行の始まりだ。それをみんながやりはじめると風紀や秩序が乱れる懸念がある』といった理論で、抑え込んでいるのが頭髪規定ですね。学校における『おしゃれ』という言葉は、『わがまま』と言い換えられがちです。生徒の自己表現とは捉えない。おしゃれって普通はいい言葉なんですが、生徒たちの統制が取れないという理由で学校では好まれない言葉になってしまう。私たちが個性や多様性と言っている言葉も、学校用語で置き換えるとすべて『わがまま』になってしまいます。だから教員が“生徒の個性”について話していても、そこでいう“個性“というのは、実際ものすごく狭いところを指していますよね。私が思うに、個性とは、誰かを傷つけない限り認められて当然のものなんです。世の中、言葉では『個性や創造力が大事だ』ってよくいうんですけど、『皆さん、そう言ってる割に縛っていませんか?』と問いかけたいです。学校以外のさまざまな組織や場面においても、私たちは個性や多様性というものを非常に狭く捉えてしまっていると思います。」

生徒の自己表現を制限する部活ルールが与える影響

―マンダムが実施した調査では『OBの7割が、当時の部活ルールに不満を持っている』というデータが出ました。一方で、理不尽に感じていない生徒の3分の1が『考えたことがない』と回答しています。このデータをどう捉えるべきでしょうか?

「マンダムさんの調査データでは、違和感を持っている人の数値がしっかり出ていますね。これは、みんなが従っているように見えても実際は納得できていないということ。しかし現状、当たり前になっているから同調圧力を感じて言い出せない。でも違和感を持っている人がここまでいるなら、もっと議論が進まないとおかしいですよね。

一方で、違和感なく適応している生徒も一定数存在します。ルールの種類にもよりますが、頭髪規定に対して違和感を持っていない生徒もいますし、茶髪をOKとしたら何より生徒会が反対するような学校も出てくるんじゃないでしょうか。今の生徒の考え方も固いところがあります。でもそれは、既存の校則や部活ルールが生徒や保護者、OBにとって当たり前のものになってしまっているから。いちど自由化して過ごしてみて、元の校則に戻す方法を採れば、違和感に気付く人はもっと増えると思いますが、いかんせん当たり前になっているのが難しいところですね。現行の校則を維持したままでアンケートをとれば、「今のままでいい」と答える生徒も少なくないでしょう。そもそも自由になったことがないから、不自然さに気付かないんです。だから、ぜひ生徒にアンケートをとろうと考えている学校では、試行期間を設けて、そのビフォーとアフターで生徒の変化を感じ取ってほしいです。」

―髪のルールなどで自己表現を制限することで、生徒たちにはどのような影響が及ぶと考えられますか?

「厳しいルールで縛り、言われたことに従うだけの人間にするのか、自ら選択してより適切なものを選ぶ力を持った人間に育てるのか、ということだと思います。そういう意味でも校則や部活ルールは、できるだけ選択できるようにしておきたいですね。そもそも『髪の自由やおしゃれな服装で誰かの人権を侵害しているのか?』という問いは、ルールを作る大人は常に考えないといけません。実際、誰も傷つけてないんですよね。じゃあ誰が傷ついているかというと、そこで理不尽に叱られた生徒が傷ついているんです。おしゃれや自己表現という以前に、人権や子どもの心について考えないといけない問題です。誰かを傷つけていないなら、何が問題なのか。生徒たちが自分で考えて選んで、何かを作り出せる環境をつくっていくのが教育の役目だと思います。」

部活ルールの改善は、教員から一歩踏み出すことが重要で、生徒任せにしない

―理想の部活動の在り方やルールはどのようにつくっていけば良いのでしょうか?

「もし現状、学校や部活で理不尽なルールを強いている場合、そうした校則やルールの廃止は、それを定めた先生や学校側がやるべきで、それを強制されている生徒に任せてはいけません。既存のルール廃止と刷新するフェーズは分けて考えるべきです。生徒は理不尽なルールがなくなった段階から新たにルールを作るときに初めて入って、そこから主体的に変えていく方法が良いと思います。なぜなら、これは学校や教員側が変わらないといけない問題だから。生徒側からの働きかけで変わったという物語は美談になりがちですが、やはり既存のルールを作った側がゼロベースにしてから生徒にバトンタッチしないといけない。そう伝えると、『それだとまたトップダウンになりませんか?』とよく聞かれるんですが、トップダウンで実行すべきケースとそうすべきではないケースがあって、校則においてはまずは教員側から変わるべきなんです。それに、現時点で不自由なのに、そのルール廃止を生徒に任せても、変わりたくない・変われない教員がいる限り、生徒たちの力で大幅に変えることはかなり難しいです。生徒が校則を変えるために時間をかけて取り組んでも、結局、許可される靴下の色が1色増えましたというレベルの話に縮小されてしまう。」

―「どう思う?部活ヘア」の取り組みの中で、いくつか取材させていただき、丸刈りルールを自由化した部は、まず顧問の先生の方から部員たちにルール廃止の話をしている傾向にあると感じていたのですが、そこが重要なポイントということですね。

「その通りです! 一歩踏み出すのは顧問の教員であることが重要です。そこから部員たちに考えてもらって、意見を出し合って変わっていくのがいいですね。やはり、子どもの気付きや自主性をつぶすのも生かすのも大人なんですよね。でも、そこで大人が自分の立場を免責化してしまうと進まない。大人の方こそ、この問題を主体的に考えないといけないんです。
今の校則やルールは、教員が生徒に疑いをもっているともいえます。自由にすると、学業や部活に集中できなくなると疑っている訳です。でももう、そんな人間関係やめませんか。結局、自由にするには信頼するしかないんです。『自由にしていいよ』と手放したときに、生徒も教員側を信頼できると思いますし、『自由化した後、もし何かトラブルに巻き込まれたときには相談にきてね』というのが教員の役目だと思うんですよ。でも今は、トラブルを未然に防ぐためにすべて掌の上に乗せてしまっていて、それでは生徒の主体性は育たないと思いますね。」

―こうしたルールを変えたいと悩んでいる教員もいると思うんですが、組織としてうまく変えていくにはどうすれば良いのでしょうか?

「自分は違和感を持っているけど、周りは違和感を持っていないから変われないんだと考えている人もいると思いますが、マンダムさんの調査をみても私が研究で取っているデータにしても、どんなトピックでも違和感を持っている人は必ず何割かいるんですよね。でも、表向きは旧来の学校文化に賛同しているように見えているだけなので、まずは少しでも周りと話してみるといいと思います。そこで作戦を立てて、職員会議で声を上げてみれば、他の人も意外と同じことを考えているというのが見えてくるはずなので。一人で悩むより、同じように悩んでいる人は必ず周りにいるよというのはお伝えしたいですね。どんなことも一人では変えられないですけど、表に出してないだけで同志はいますから。
あと、校則や部活ルールについて教員が改めて考えるときに、人からルールを押し付けられることの息苦しさを自分の立場で考えることがまず必要なんだろうなと思います。ちなみに、社会人として最も服装が多様な職場は学校ですよ。スーツもジャージも、スニーカーもサンダルの人もいて、最も自由なんです。一方で最も不自由なのが生徒という、不思議な当たり前が混在しているのが学校です。ここで、不必要に生徒を縛っていないか考えてみていただきたいですね。」

―丸刈りルールが伝統になっている場合、顧問がOBや保護者の反応を気にすることもあると思うのですが、理不尽な部活ルールを社会として改めて考えていくために、私たちにできることは何でしょうか?

「部活は保護者や社会との関わりが強い領域です。授業については外から口出しできない一方で、運動部の大会であれ、文化部のコンテストであれ、外から見るものでもあって、社会との接点も多い。その様な部活において明文化されないルールが多くある中で、そこをできるだけ根本から変えていくために社会も学校も一歩を踏み出す必要があります。それは健全化するためのトップダウンであって、生徒を拘束したりつぶしたりするようなものではありません。だから私たち社会にできることは、子どもたちの権利について自分ごと化して考えて、生徒の多様性や自主性を大切にするということですね。」

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